2021-06-18

膠を知る旅に出る。

展覧会入り口

武蔵野美術大学美術館で開催中の「膠を旅する――表現をつなぐ文化の源流」。膠とは絵具を画面に定着させる画材。日本画に欠かせないもので、牛や鹿などの骨や皮、魚の鱗や浮き袋などの原料から作られている。本展は、2017年から3年間、本学名誉教授であり日本画家の内田あぐり先生が中心となって行った、膠に関する共同研究の成果について展示。膠作りの歴史的、社会的、文化的背景を探った理由や、創作活動を通した膠との向き合い方について、内田先生にお話を伺った。

知らなかった膠のこと

絵が描かれている方を外側にして巻き、保管された日本画作品

川又:会場にロール状に巻いた内田先生の作品が展示されていました。その解説として「膠の柔軟性によって用紙を巻いても絵具のひび割れが起きず、長期間の保存でも画面の傷みはなく鮮やかな色彩が保たれた」という旨が書かれていたのですが、膠は作品を保管するときにも役立つのですか?

内田:あの作品は1976年に制作したもので、その5年後ぐらいに保管のためにパネルから剥がしたんです。日本画を保管するときに、パネルから剥がした大きな作品の場合ですが、まず画面に霧吹きで水をかけて少し湿らせるのね。それから内側に丸い芯になるものを入れて、絵を外側にして大きく巻いていく。どうして外側にして巻くかというと、膠というのは、非常に柔軟性があって水で湿らせると伸びる性質があり、その状態で乾燥するから、画面がひび割れを起こすことなく保管できるんです。今の学生さんたちは、日本画専攻であってもそういう保管の仕方を知らないので、見てもらうために展示してみたの。ただ、絵具を厚塗りにした絵はこの方法では不可能ですね。

川又:そうなんですね。私は日本画が好きで展覧会もよく見に行くんですが、膠って棒状のイメージがありました。膠を使って絵を描かれているのは知っていましたが、それができるまでの工程がたくさんあるのを初めて知って驚きました。

内田:そうですよね、膠は本当に、動物の命がかかっているものなんです。

展覧会会場にはさまざまな膠が並べられている

川又:形状も、私は棒状のものしか知らなかったんですけど、砕かれたものとか、キラキラした四角いゼリーみたいなものもあるんですね。

内田:そうね、今はいろいろな膠があって、牛や鹿の膠のほかにも魚の鱗由来の膠や、海外には兎膠を粒状・粉状にしたものもあります。会場でお皿に載せたりパッケージのまま展示しているのは、私がニューヨークやロンドンの海外で作品を制作する時に使ったものです。向こうの画材店で膠をだいぶ買ったので、まだ持っていたので出品しました。メキシコの兎膠もあります。

川又:兎の膠って日本にはないですよね?

内田:西洋絵画の膠として使われていますね。多分、日本画の作家より、油絵の作家の方が兎膠を支持体の地塗りや金箔の接着などに使っていると思います。

膠に対する思い

川又:3年間、膠について研究されてきて、研究する前と後で膠に対して心持ちの変化などはありましたか?

内田:初めに膠を研究しようと思った理由のひとつが、今から10年ほど前に「三千本膠」がなくなってしまったことです。三千本膠というのは、日本画では最もポピュラーに使われる膠で、牛皮を使って伝統的な手作業で作られていました。それを作っている「清恵商店」という業者さんが、後継者問題や、三千本膠の需要が減ってしまったことで、廃業してしまったのね。残念ながらもう作られなくなってしまったの。以前から、膠がどのように作られるのか、なぜ廃業してしまったのかなということが気になっていて、それで膠をめぐる文化的背景を中心とした調査しようと思いました。膠が牛や鹿などの動物の髄や皮を使って作られていることは、頭ではもちろん理解していたのだけれども、膠が作られている現場を拝見したり、現在の状況が大変なことや、実際に作られている方達の話を聞いたりして膠とその周辺のことを知り、日本の風土の中に深く息づいているものなのだなと感じました。

櫻井:実際に膠を作る過程を見られたとのことなんですが、その中で印象的だったことはありますか?

内田:訪れた場所でいろいろと感じるものはあったのですが、原皮などが工場に山積みになっていた光景や、運ばれてきた肉片のついた生々しい皮に生き物の崇高な美しさを感じて、そこから膠が生まれるのだという衝撃と感動を受けました。

これからの膠と日本画

川又:これからも日本画の修復作業というのは出てくると思います。伝統的な膠の製造が減ってきていることは、修復に影響しますか?

内田:三千本膠がなくなったあと、いろいろな研究者や画家の方々が、それに代わる膠の研究をなさっています。その結果、三千本に近い膠を作ることができるようになってきました。それが「飛鳥」という製品で、性質も形も三千本膠に似ているし、製法も三千本膠の作り方を踏襲しているのでしょうね。修復はそういうものを使ってなさっていると思います。今の日本画学科の授業でも飛鳥を使っているのではないでしょうか。

櫻井:飛鳥っていうのは、職人さんが作るものというよりは、大量生産品に近いものなんですか?

内田:そうとは言い切れませんね。今回の研究でメンバーが取材に行った兵庫県の旭陽化学工業の写真が、本展の関連書籍『膠を旅する』の139ページ左下に載っていますが、これが飛鳥を作っている工場なんですね。機械製法で抽出した膠液を専用容器のバットに流し込み、冷却したものが並べられています。女性たちがバットにゼラチン状の膠を並べて、手作業で切っているそうです。こんなふうに機械産業だけではなく、三千本膠と同じように手作業を必要としているんです。取材に行ったメンバーたちはその様子を目の当たりにして、「手作業で一つひとつ丁寧に切り分けて作っていました」とびっくりしていましたね。

櫻井:膠は、昔ながらの手作業が受け継がれていますよね。日本画にとって膠という存在がかなり大きいから、伝統としてずっと守っていけているのではないかと思いました。

内田:膠は、これがないと絵具が接着しないから、絵を描くという基本的なところですごく大事なもの。だけど、今は膠の代わりに樹脂膠という化学的な接着剤も、研究者により発明されています。そうした接着剤を用いて描く作家たちもあらわれました。どのように違うかというと、膠は有機的な素材だから、残ったら瓶に入れて冷蔵庫に入れておかないと1週間ほどで腐ってしまいます。ですが樹脂膠というのは、化学的な接着剤なので腐ることはありません。最初から液体の状態で容器に入っているので、絵具とすぐに混ぜ合わせることができて絵が描ける。湯せんで溶かしたり、絵を描くまでに面倒な工程を経なければならない従来の膠に比べて、すごく“直接的”に絵が描けるようになりました。あともうひとつ、樹脂膠は紙以外のものにも接着できるところです。例えば鉄やさまざまな物質に描いたり、そういう場合でもちゃんと接着する。そうしたことから、今は日本画素材の表現の幅が広がってきたと思います。自分の表現に必然的な接着剤、メディウムという意識を持ちながら、膠を使用するかどちらかで描いている人がいると思います。私の場合は、何度か試みているのですが、その樹脂膠が全然使えないのです。樹脂膠は接着力がすごく強い代わりに、一度画面に塗ってしまうと、そこを少し水で洗ったりして元に戻すことができなくて。私はどちらかというと絵具を洗いながら絵を描いていく手法なので、元に戻る柔軟性のある膠でないと自分の表現ができないんです。あともうひとつ決定的なのが、膠の場合は絵具を多めに用意して使いきれなかったとき、次の日まで持ち越すことがあるでしょ。夏場は乾いて水が蒸発してしまいますが、絵具は膠で溶いてあるからお皿にピタッとくっつくわけ。そこに水を加えてヒーターの上に置き、熱で溶かすとまた絵具が使えるのです。だけど樹脂膠や化学的な接着剤っていうのはそれができません。余った絵具にもう一度水を入れて温めても戻らないので、もう使えなくなってしまうのです。私は絵具をたっぷり用意して描いていくタイプで、いつも大きな絵具皿で溶くのね。それでいつも絵具が残ってしまうから、樹脂膠で溶いて次の日はもう使えなくなるともったいないってことになるわけ。何回も何回も絵具を使い切る方法を試してみたけど、なかなか合理的にはいかない。そこらへんがとてもストレスで、樹脂膠は使えないんです。

櫻井:手法にも絵具にもそんなに影響に違いが出るんですね。

内田:そうですね、膠と岩絵具は指で練り合わせる身体的な感覚、樹脂膠と絵具は混ぜるという感じで、それは指でなくても筆でもいいし、そこも違いますね。あと樹脂膠は金額がちょっと高いのよね。

櫻井:展示会場にある、「私は動物の体液を使って絵を描いている」という内容の内田先生の言葉がすごく印象的でした。

内田:水も絵具も有機的なもので、紙も植物繊維の絡んだ手漉きの和紙だったりするわけです。膠のほかにも有機的なものを使って描いているので、素材に対して“呼吸をしている”という感覚がどこかであります。朝に膠を煮ると、漢方薬みたいなすごくいい匂いがするのよ。皆さんは嫌いかもしれないけど(笑)。だけど、腐るとすごく臭い。その匂いはあまり好きではないけども、でも、生きてるから腐るんだなという感じがします。そのように、動物の生命を頂戴して描かせてもらっているいう感覚はいつもどこかに持っています。

内田先生の言葉

【プロフィール】

内田あぐり (うちだ・あぐり)

1949年、東京都生まれ。1975年、武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻日本画コースを修了。1993年、文化庁在外研修員としてフランスに滞在。山種美術館賞展で大賞を受賞するなど数多くの賞を受賞。現在は武蔵野美術大学名誉教授。近年の主な展覧会・プロジェクトに、「開館1周年記念 佐久市立近代美術館コレクション+現代日本画へようこそ」(太田市美術館・図書館/2018年)、「内田あぐり 化身、あるいは残丘」(武蔵野美術大学美術館・図書館/2019年)、「内田あぐりVOICES いくつもの聲」(原爆の図/丸木美術館/2020-21年)、「生命のリアリズム 珠玉の日本画展で内田あぐり特集展示」(神奈川県立近代美術館 葉山/2020年)などがある。

【展覧会概要】

膠を旅する――表現をつなぐ文化の源流

会期

2021年5月12日(水)-2021年6月20日(日)

時間

月・水・木・金曜【学内限定】12:00-18:00

土・日曜【一般(学外)限定】①10:00-12:00、②12:30-14:30、③15:00-17:00

休館日 火曜日

入館料 無料

会場 武蔵野美術大学美術館 展示室4・5

主催 武蔵野美術大学 美術館・図書館

監修 内田あぐり(武蔵野美術大学 名誉教授)


[関連書籍]

『膠を旅する』

監修:内田あぐり 発行:国書刊行会

判型:B5変型判  ISBN:978-4-336-07184-2 ページ数:240頁

下記、国書刊行会のサイトからお買い求めいただけます。

https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336071842/

※展覧会場でもご購入いただけます。

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取材・編集・執筆 デザイン情報学科3年 櫻井真奈 川又彩伽

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