2022-10-24

『黒川弘毅ーー彫刻/触覚の理路』

2号館金属工房

10月24日から武蔵野美術大学の美術館では、彫刻学科黒川弘毅教授の退任展である『黒川弘毅ーー彫刻/触覚の理路』が開催されます。この『黒川弘毅ーー彫刻/触覚の理路』では、黒川弘毅の学生時代から「シリウス」「ヘカテ」「ベンヌ・バード」「ムーン・フィッシュ」「スパルトイ」「ゴーレム」「エロース」と現在に至るまで50年に及ぶ主要な彫刻作品約240点を一堂に集め、活動の軌跡を振り返ることができます。
HP:https://mauml.musabi.ac.jp/museum/events/19952/

今回は『黒川弘毅ーー彫刻/触覚の理路』が開催されるにあたり、彫刻学科の教授である黒川弘毅先生にお話を伺いました。

黒川弘毅先生

鋳造が好き。ブロンズが最高。

――まず今回の展覧会について教えてください。

私は大学2年の時からブロンズをやっていて、私が学生時代からこれまでに作ってきた彫刻作品の全シリーズを展示します。美術館のホームページには240点と書かれています。とにかくたくさん並べたいと思っています(笑)。そもそも私自身が、私の作品たちに会いたくてしょうがないんです。だからいろんな美術館や個人のコレクションに入っているものも借りてきて、会場でできるだけたくさんの作品が見られるように準備を進めているところです。あんまりいっぱいあると展覧会の図録を作るのが大変だから美術館の人たちに迷惑がかかるんですけど、充実させた図録を資料として残したいと思っています。

——黒川先生のブロンズ作品のシリーズは、就職した鋳造所で始まったとお聞きしました。展示されるシリーズについて少しお話ししていただけますか?

大学を出て、彫刻の鋳造をやっている鋳造所に就職して、何を作ろうかなと考えたんです。例えば人体像を作るという場合、普通は粘土で作ったものをブロンズに置き換えますが、私はブロンズで何か別の材料で作った形を再現するのではなく、ブロンズ自身の形を作りたくて、そこから出発しようと思いました。中でも『シリウス』というシリーズが一番単純な形です。この二股に分かれた形は別々のものをつなぎ合わせたわけではない。鋳造の過程で「湯道」というブロンズが流れる道を作るんですけど、2つの方向に枝分かれさせることでこの形が出来上がっています。

『シリウス』

『ヘカテ』というシリーズも、同じように鹿の角みたいに先で枝分かれてしています。湯道ではできないものは、わざわざ鋳造して作りました。鋳造所で働きながら、そこでできてくる湯道を自分好みに変えて作品にしたりもしていましたね。二股の片方が丸い『ベンヌ・バード』っていうシリーズ。なんとなく鳥みたいな形をしてるでしょ。それまではひょろっとした形のものをつくってきましたが、でも僕はブロンズの塊が好きなんです。それでやり出したのが『ムーン・フィッシュ』というシリーズ。これは、スコップで土間に溝を作ってそこにブロンズを流してできた形で、シュモクザメやアンコウみたいな、魚のような形になっています。

——とにかく作品の点数、つくってきたシリーズが多い印象がありますが。

いくつかのシリーズについてはずっと同じことをやっていても飽きちゃうから、数は作らないんです。最初の二股の『シリウス』のシリーズもですが、ちょっとだけ丸みをつけたり、左右の長さやブロンズを流す角度を変えてみたりして、少し展開したら次のシリーズに向かっていきました。だから、次から次へとシリーズがたくさんできています(笑)。作品の数は『エロース』が一番多く、『ゴーレム』『スパルトイ』の順です。一番少ないのは『ムーン・フィッシュ』で、4つしか作られませんでした。

『スパルトイ』は土間の土を柔らかくして、そこにブロンズを流すんです。流していくと土が柔らかいからズブズブズブって潜り込んでいって、土の中で冷えていろんな形に固まる。それを掘り出してブロンズのかたまりを削り出すんです。ブロンズが土の中で育ったかのようにできたその形を変えようとせずに。ひとつひとつ個性や人格を持ったものが現れてくるから、それを大切にしてあげる。それが『スパルトイ』という、「播かれたもの」という意味のシリーズです。

同じような形だけどひとりひとり個性が違う兄弟のように作られた『ゴーレム』は、目を瞑って触って味わう形。それは見えてないものが手探りで作って形になっていくんです。でもやっぱり人間が作りたいんだけど、最初は自分が何を作りたいのかわからなくて『ゴーレム』を作っているうちに、とにかく人の形を作ろうとして、まずお地蔵さんみたいな形を作り出したんです。そうするとだんだん2本の足で立つなぁとか、どう見ても大人ではなく子供なんだってことがわかってきたんです。それを作っていくうちに『エロース』というタイトルが合うかもなって思ったんです。ポーズは公園で遊んでいる子供を見て印象に残った形を作っています。それは遊んでいる中の、ある一瞬なんです。ちなみにこの子たちの後ろ側はブロンズを注いだ場所で、ここは削らずに黒くなっているんだけど、僕からするとこっちが正面なんです。だからこれまで展示するときには、回り込んで見られるように置いてきました。是非そちらからも観てほしいですね。

——幼い頃は消防士になりたい時期があったとお聞きしましたが、その時から作ることも好きだったのですか?

もともと火が好きで、金属を溶かして流すという行為は最高の火遊びです。子供の頃は友達に工作好きな子が多かったので、ボール紙で色々作って持ち寄って「この船はよくできてる」、「この飛行機はここ違うだろ」みたいに講評し合って、その後マッチに火をつけて燃やして、自分たちの作ったものが炎の中で灰になっていくのをみんなで恍惚として眺める、それがたまらなかったですね。燃やすためにまた作っていました。とにかく火が元気よく燃えているのが好き。それで鋳造が好き。ブロンズが最高。鉄は溶断したり溶接したりだけだけど、ブロンズは溶かしてそれをだーっと流して。それがもうたまらなく好きなんです。

現実の空間に実際に存在させる

——私は基礎デザイン学科なのですが、デザインと異なる彫刻の特徴について教えていただきたいです。

まずは、彫刻学科の教室では何をしているかというと、この動画を見てみてください。

「よくわかる!彫刻学科」※黒川先生はブロンズの担当

イラストが可愛いのに死と隣り合わせってねぇ…と思うかもしれないけどほんとに危ないんですよ。これが最大の違いでしょうね。でも彫刻科は安全教育に力を入れていて、それぞれの教室では先輩後輩お互い同士が気をつけ合っているから、幸いに大きな事故は起きていません。

デザインと彫刻の違いについては、この話の前提となる彫刻と工芸、純粋美術と応用美術の区別についての歴史的な問題がありますが、ぶっちゃけ私はコレを話すのがくたびれるので…。絵画との違いについて言えば、彫刻というのは自分が見たいファンタジーを現実の空間に実際に存在させるものなんです。例えば『お餅』をテーマにすると、日本画や油絵ではお餅の絵を描くけれど、彫刻はお餅を作る。しかも材料と技術が色々あって、例えば石とか木とか。それらの技術の違いは日本画と油絵どころではなく、それこそ対極にあるといえるほど全然違う。基本的な技術を身につけてから安全にそれを彫ったり、あるいはブロンズに鋳造したり、鉄を溶断したり溶接したりというような技術がある程度要求される。彫刻学科の教室はそれを学ぶ場所です。

彫刻をやる人は、まず身体を動かすのが好きなんですよね。とにかく力仕事や肉体を使ってガチンガチンと体を動かすのが好き。手と指だけでは物足りないんです。加えて現実の空間に存在しているということに、ものすごくファンタジーを感じてしまうんです。

——デザインと彫刻の違いは製作側にも鑑賞側にもあるとお伺いしましたが、例えばどのような点で違うと感じますか?

例えばデザインや工芸では、椅子を作る場合、工業的に量産する場合は設計図が必要で、何のためにどういう材料を使って作るかについての目的と根拠がはっきりしています。ところが、建築装飾、宗教や政治のプロパガンダの役割を持つ記念碑、都市景観やまちづくりの中で計画されたパブリックアートといわれるものを除けば、彫刻にはそういうものが初めから無いんです。クライアントが自分でありマーケティングが無いので、それはファインアート系に共通する特徴でもあります。特に実用性という点では私の彫刻は極限まで根拠と目的がなく、私の場合はとにかく自分が作りたいものを作っています。

デザインと彫刻ではなくてごめんなさい。先ほどの話の続きになりますが、絵と彫刻は鑑賞の仕方も違います。絵画はその画家や製作者のある1つの視点で描かれていて、鑑賞者もその視点を鑑賞するので、1つしかない視点を受け入れるので受動的。それに対して彫刻は、あっちから観たりこっちから観たり下から観たりと、いろんな方向から鑑賞できますよね。だから美術館でも、絵はその前に立って観るだけだけど、彫刻は身体を動かして観る。つまり、彫刻の鑑賞って能動的なんですよね。

貴族たちのコレクションが成立した古い西洋の時代だと、夜はランプやロウソクの明かりで好みのところを近くから光を当てて鑑賞していたんです。今日は背中を鑑賞しようとかお尻を鑑賞しようとか、今日は前の方鑑賞しようとか、その日の気分でどこをどう鑑賞するかを変える、かなり能動的な鑑賞の仕方をしていました。

彫刻と親しくなる

――今回の展示で「触覚」をテーマにしたのはなぜですか?

彫刻には『触覚の芸術』という定義があるんだけど、その触覚の本当の意味は、手で触ることではなく身体の中のエモーションを感じる感覚、つまり内触覚のことを指しています。身体の中に訳のわからない衝動とか情動が働いて、それらは手を駆動する。そして何かを作らずにいられなくなって何かを作るんです。自分の衝動で作ったものというのはその時は何だかよくわからないんだけど、作った後に初めてしっかり見る。触覚(何かを作りたくてたまらないという衝動)が物質の中に探り出したものを、目は後で見るということなんです。このエモーションっていうのが大事なんです。作らずにいられないという。私自身は、『ゴーレム』を作っているうちに触覚というものがわかってきたんですけど、最初は身体の中で何かを感じているけどそれがなにかわからなかったんです。でもそれは、身体の中でそれ自身が発光しているものが、衝動のもとにあるんじゃないかと思うんです。つまり手探りで触れることのできる表面を持つ光が身体の中にあって、それが本当に形になるんだったらどういう形なのかっていうことがわかってきた時に、触覚というものが自分の中でだんだん理解できてきました。

『ゴーレム』シリーズの展示では作品に触れる場所、触覚による鑑賞、作品を手探りで感じるコーナーを作ります。そこは触り放題。美術館では触っちゃいけないことのほうが多いけど、触ることでわかって作った作品なので、皆さんにぜひ触ってほしいなと思っています。

――彫刻にもっと興味を持つにはなにか方法はありますか?

彫刻を正しく鑑賞することが彫刻に興味を持つことです。彫刻の鑑賞っていうのは、もちろん楽しむこと。誰がどういう様式で作ったかというのを知ることは鑑賞ではないんです。1つ1つの彫刻と親しくなることで鑑賞は成立すると考えています。彫刻は触覚の芸術なので、正しい鑑賞は彫刻に触れること。街中に立っている彫刻に触っていると変質者に思われかねず、美術館では「作品に触れないでください」なので、それがなかなかできなくても、正々堂々と彫刻を触る口実というのが実はあるんですよ。例えば街中にある彫刻をよい状態で維持するために、洗って綺麗にしてあげる。

以前私たちが公園の彫刻を洗っていたら子供たちが自分達にも洗わせてって言うから、道具を渡したら一心不乱にやりだした。楽しくてしょうがないんですよね。あっち洗ってこっち洗ってって身体を動かして、寄ってたかっていろんな方向から洗って楽しむ。これこそが『触覚鑑賞』です。身体を動かしてまわりながら身体の中で彫刻を感じる。洗うのはただ手で触るのとはまた違うんです。いろんな方向から水をかけることで、表面を流れる水を味わうことで、彫刻の形が強く感じられます。また水をノズルから霧にしてかけると周りに虹ができてその中に彫刻が浮かび上がるのを楽しむことができます。歯ブラシを使ってより細かく洗うと、小さなディティールをもっと観察できて、細部の形を作った作者の指や手の動きを味わうことができます。大きめのブラシで身体を動かしながら全体を洗ってゆくと、彫刻が持つ構造と抽象的なフォルムを楽しんで感じることができます。

その後ブロンズ像の場合は表面にワックスを塗ります。ワックスの光沢を出す作業は、彫刻をどう解釈するかに関わる楽しい作業なんですよ。ツヤを出して作品の輪郭や量感にメリハリをつける作業だから、その人のフェチが出たりします(笑)。ワックスの作業は最も深い触覚鑑賞です。

こういう作業からも、彫刻の鑑賞は能動的だってより感じます。そうやって彫刻を楽しんで、彫刻に働きかけることで彫刻作品と親密になろうという事です。

作品のサビを取り除く作業をしている様子を見せて頂きました。


【黒川弘毅——彫刻/触覚の理路】

会期 2022年10月24日(月)-2022年11月20日(日)
時間 11:00 – 19:00(土・日曜日、祝日、10月28日(金)は 10:00 – 17:00)
休館日 水曜日
入館料 無料
会場 展示室2・4、アトリウム1・2
主催 武蔵野美術大学 美術館・図書館
協力 武蔵野美術大学彫刻学科研究室


編集・執筆・取材:基礎デザイン学科2年 箱崎愛華

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