2022-09-09

油絵学科「版画専攻」から「グラフィックアーツ専攻」へ 名称変更について聞く

武蔵野美術大学造形学部油絵学科版画専攻は、2023 年度から「油絵学科グラフィックアーツ専攻」へと名称が変更されます。この名称変更について、現版画専攻の教授である高浜利也先生にお話を伺いました。

高浜利也教授

時代と共に変化する版画

_まず、名称変更に至った経緯を教えて下さい。

世の中の動きも含めて、時代ごとに版画という媒体は扱われ方が変わります。従来、版画というのは情報を複製して伝えるための印刷技術だったのですが、デュ―ラーあたりから、またアメリカのアートシーンでは、20世紀に入りアンディ・ウォーホルがシルクスクリーンをアートとして開放したようなところから、版画は単なる技術ではなく、芸術表現として社会に受け止められるようになってきました。日本では明治から大正にかけての創作版画運動からの流れが、今の版画教育に受け継がれてきています。

私は30数年前、武蔵野美術大学油絵学科に3年生から版画を専門的に学べる版画コースができたときの1期生だったんです。その当時は版画コースに入ったら、たとえば銅版画やリトグラフ、木版画、シルクスクリーンを制作して美術館やギャラリーに展示するというファインアート、それも絵画としての版画というのが主流でした。しかし、それが少しずつ変わってきて、最近だと学生たちの中でもアートブックやZINE、絵本などを作る人が増えてくるなど、こちらから教えなくてもどんどん自分たちで版画を使って次のステップに展開していくという風に変化してきました。それに合わせてここ4~5年で、実は少しずつ版画専攻の授業の内容も変わってきています。今、油絵学科内では、1年生の時は油絵専攻・版画専攻共通の選択授業があって、油絵専攻も版画ができるし、版画専攻も油絵が描けます。油絵専攻の学生でも独自にアートブックやZINEを作るなど、印刷に興味を抱く学生がじわじわと増えてきています。そんな中、昨年リソグラフを授業に導入しました。

4号館の現版画専攻の研究室に新設されたリソグラフ・ラボ。学生はここで自由にZINE制作などができる。

現在の版画専攻では油絵学科というファインアート系のど真ん中にありながらも、デジタル表現演習などの授業でデジタルペインティングやデジタルプリントなどを学ぶことが可能です。また版表現を使ったインスタレーションのほか、絵本やブックアート、ポスター、イラストレーションなど、デザイン系の学科で学ぶような領域まで、多様なカリキュラムが拡がっています。

2年生 ブックアート実習

昨年からはDTP(デスクトップパブリッシング/PC上で印刷データを作成すること)やエディトリアルデザインなどの授業も始まっています。ただ、残念ながら今の版画専攻がそのような多彩な授業をやっているということを、受験生をはじめ、大学の外にいる人たちにうまく伝わっていないという思いがずっとありました。なぜなら、やはり「版画専攻」という名前に対するイメージが版画だけだから。そこで今、実際に行われている授業の実態を過不足なく、的確に言い表すのには何と呼べばいいのだろうかと考えた時に、「グラフィックアーツ」が最もふさわしいということになったんです。油絵学科として絵画性を追求するのと同時に、版画、すなわち印刷媒体としての複製性を意識してデザインの方にも拡張していくイメージです。ファインアートとデザインの両方の要素が入ってきたときに、版画という言葉だけでは最早、追いきれない部分が出てきたのです。そこで版画という言葉の塊をもうひとまわり大きくして、印刷を介した複製性を持つ平面視覚芸術全般のことという意味で「グラフィックアーツ」という包括的に言い表すことができる言葉にたどり着きました。「グラフィックアーツ」 という新しいカリキュラムに変えるのではなく、既に少しずつ変化してきたこと、その結果としての今のカリキュラムの実態を正しく伝えるために、名称変更するというのが実際のところです。

グラフィックアーツ専攻の理念を体現した本学美術館での展覧会(高浜教授監修) 2021年

_名称変更により、他に変わることはあるのでしょうか。

来年度から新たに、いとう瞳先生というイラストレーターの方が専任教員(教授)として着任される予定です。今までムサビの油絵学科の中にイラストレーターの教授はひとりもいませんでした。ムサビで初めてとなるだけでなく、おそらく美術大学全体を見渡しても、油絵、油画系ではかなり画期的な出来事になると思います。

私が学生の頃は、版画専攻を卒業したら、版画家、画家などのファインアート系のアーティストを目指す人がほとんどだったのですが、今は版画を学んで絵本をつくるとか、イラストレーションや漫画などを制作する、あるいはデザイナーを目指すなど、版画を展開させながらその先へと向かう学生が増えてきています。いとう瞳先生ご自身もムサビの版画専攻の卒業生で、学生の頃から版画を学びながら独学でイラストレーションを勉強し、イラストレーターになった方です。来年度からはいとう瞳先生によるイラストレーションやブックアート、装幀などの授業が開講される予定ですが、そういったところの授業の拡充に伴い、活版印刷もできるグラフィックアーツ工房を整備する準備を進めています。

2023年4月からグラフィックアーツ専攻教授に着任する、いとう瞳氏によるアルバムジャケット/イラストレーション

ファインアートとしての版画、デザインとしての版画

_デザインとしての版画の存在が大きくなってきているとのことですが、ファインアートとしての版 画も学べるのでしょうか。

実は、版画という言葉を守るためにグラフィックアーツに名称変更する、というところもあります。例えば今、版表現の作品っていうと、どんどんデジタルの技術が入ってきたり、これが版画なのって思うような作品がたくさん出てきたりしています。しかし基本的には銅版画、リトグラフ、木版画、シルクスクリーンなど、基本4つの版種をそれぞれ独自の技法、技術を持ってするものがやはり版画なのだろうと、私たちは考えています。その版画自体を大事にするために、つまり版画と版画以外のものを区別するというのが必要で、そのためにグラフィックアーツという、版画よりも一皮大きな括りにするという事情があります。決して版画をなくそう、版画という言葉を壊そうというのではなく、むしろ逆ですね。 例えば、版画専攻にはいくつかの工房があるのですが、3年生の後期から自分の主専攻の版種を決めて、いずれかの工房に所属するという制度になっています。これから先もその工房制を大事に続けていくことで、各版種のごとの技法、技術をしっかりと守っていきます。そしてそこから生まれた版画以外の表現の拡がりも同様に大切にしたいのです。それらをワンフロアの中で広げてしまうのではなく、1階にはその伝統を、その次のステップとして2階では全く違う、版画を勉強した上で版画から飛び立った先でできたものを、というようにしたいと考えています。伝統を守るためにあえて分けましょうというのがグラフィックアーツの考え方です。閉じることによって守られるし、逆にその先に広がれる、というところとか、やはりそのバランスをとることが大切ですね。しかし、そこに垣根をつくるのではなく、一つの専攻において、一定のルールの下で両方行ったり来たりできるようにしましょうという、多様性を持った生態系をつくるイメージです。

6号館リトグラフ工房

これからの展望

_今後、グラフィックアーツ専攻ではどのような人材を育成していきたいとお考えですか。

理想を言えば、本当に見たことのないようなもの、とんでもないものを作って欲しいですね。作品の最終形態やビジュアル的なものもそうだけど、作品のあり方や考え方など、今までにないようなものをどんどん生み出してほしいです。また、ファインアートとデザインの両方を学べる専攻が油絵学科にあるというのが面白いところでもあります。アーティストを目指す人だけでなく、就職活動して社会に飛び立とうとしている人たちも、グラフィックアーツ専攻で学んだことを足がかりに、色々な仕事の入り口に立てるようになってほしいと思います。教員としては、グラフィックアーツ専攻を名乗るにあたって、就職のことも含めたキャリアサポートもしっかりとケアしていきたいという希望を持っています。そのために最近の授業では、エディトリアルデザインの一環として、InDesignの使い方を学ぶ集中講義を開設するなど、ポートフォリオ制作などに活かせることも積極的に取り入れています。アーティストとして大きく羽ばたいていくための手助けをするのと同様に、就活につながるようなキャリア形成に関しても、できるだけ支援していきたいと思います。

修了制作(優秀賞)/漫画のフォーマットで制作された水性木版画

おわりに

デザイン系の学科でデザインを学んでいる私にとって、版画専攻は今までどこか遠い存在であると考えていました。しかし今回のインタビューを通して、版画はファインアートとデザインのどちらにも通ずる表現方法であり、またその複製性という特徴から学問や産業の発展にも貢献してきた、人類の歴史と切り離せない存在であると知りました。この名称変更により、版画へのイメージが変わる人も多いのではないでしょうか。伝統を守りつつ革新を目指すグラフィックアーツ専攻に、ぜひ注目していただきたいです。

武蔵野美術大学油絵学科 グラフィックアーツ専攻オフィシャルサイト
https://ga.musabi.ac.jp/


編集・執筆・取材:視覚伝達デザイン学科3年 松本向日葵

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