2020-07-29

歴史は10年!これまでのmauleafを振り返る。【前編】

2010年から始まったムサビ公式の広報誌「mauleaf」。“ムサビの「いま」を知る、わたしたちの広報誌”をコンセプトに、油絵学科から芸術文化学科まで多様なムサビ生を取材してきました。10周年を迎え、今年度からこのwebマガジンの運営も始まりました。mauleafの新たなスタートを記念して、創刊初期の編集を担当されていた藤原ちからさんと、当時から現在もデザインを担当されている加藤賢策さんに、創刊当時のmauleafについて前後編にわたってお話を伺いました。聞き手はわたくし櫻井真奈と、同じく学生スタッフの川又彩伽さんです。

藤原ちから

1977年、高知県生まれ。横浜を拠点に国内外の各地を移動し、アーティスト、批評家、キュレーター、ドラマトゥルクとして活動。2017年度よりセゾン文化財団シニア・フェロー、文化庁東アジア文化交流使。2019年にアートコレクティブ「orangcosong」を結成。

加藤賢策

1975年、埼玉県生まれ。アートディレクター/グラフィックデザイナー。武蔵野美術大学大学院視覚伝達デザインコース修了。その後同大学で助手として勤務。株式会社ラボラトリーズ 代表取締役。武蔵野美術大学・横浜国立大学非常勤講師。


立ち上げ当時のmauleaf

櫻井真奈(以下、櫻井):最初の学生スタッフの数はどのくらいだったんですか?

藤原ちから(以下、藤原):3号目(2010年12月刊行)のクレジットを見ると18人いますね。

櫻井:今は10人くらいなので、倍くらいの人数ですね。

加藤賢策(以下、加藤):登録学生はもっと多いけど、号によって参加できる人が参加している感じだよね。3号も18人全員が関わっていたというわけではない。それは今も同じですね。

川又彩伽(以下、川又):年に4回のスピードで出すのは大変じゃなかったですか?

藤原:夏休み前に2冊、後に2冊出すという刊行ペースが決まっていたんですよ。芸祭は年に1回は絶対特集するっていう方針があったので、あとの3冊分を企画して特集を組む必要があったんですけど、毎号発行が遅れるっていう。笑

加藤:結構無茶をしていましたね。

藤原:ドタバタで…。その遅れる癖が最初にできたのが2011年の東日本大震災の時だったかもしれません。

加藤:震災の時って、関わり始めてすぐのころですね。

藤原:そう、mauleafを始めてすぐの時に学校が再開できるかどうかも分からない状況になってしまったから、今のコロナ禍の状況と近いかもしれないですね。もう9年前ですかね、まず学生スタッフを新しく集めて入ってもらうのも難しかったので、なかなか混乱していたんじゃないかな。
ただ、学生スタッフさんが最初に18人入ってくれていたんですけど、その半分くらいの人がアクティブに継続的に関わってくれていたんです。やる気のある学生さんが多かったので、そういう意味では楽しかったという記憶があります。卒業まで関わってくれた人もいましたよね。

加藤:すごく積極的に関わってくれた人は大体名前覚えていますね。

櫻井:学生スタッフはその頃もデザイン系の学生が多かったのですか?

加藤:そうですね。

藤原:デザイン系多いですね。日本画が一人だけで、あとは全部デザイン系。映像、建築はいるけどって感じでした。

学生にとって、つかずはなれず親身な存在になる

櫻井:学生とのコミュニケーションって密にとっていたのですか?

藤原:そうですね。もちろん人にもよるんですけど、割と初期の頃は飲み会とかもやってた気がする。

櫻井:そういった時は学生スタッフとどんな話をされていたんですか?

藤原:まず飲みにどう誘うか誘わないかっていうのはあったんですね、で基本こっちからは誘わないようにしていました。今はよりハラスメントの問題がセンシティブになっていると思うんですけど、当時も気にしていて。
例えば(加藤)賢策さんとは時間があればミーティングの後に飲みに行ってはいたから、飲みに行くぜっていう雰囲気だけ出して、来たそうな人がいればどうぞって感じにしていたと思いますね。とはいえ仲良くなった何人かは向こうから飲みに行きましょうと誘ってくれたりもするので、そしたらじゃあ行こうかみたいな感じでしたけど。あ、もちろん未成年者はノンアルコールというのは厳守してました。行ったらもう人生相談とかそんな感じ。

加藤:でしたね〜。

藤原:将来のこととかの相談もありましたよね。あんまりいえないと思うけど。笑

加藤:それこそ三角関係とかもあった気がする。

藤原:あったあった。笑 学生スタッフ間の三角関係。

加藤:そういう意味でもすごく密な感じでしたね。

藤原:なかなかちょっとハラハラしながら見てたけど。笑

櫻井:兄的な存在だったんですかね。

藤原:そうですね。まあ年齢的に、僕も賢策さんも。

加藤:30代半ばかな。

藤原:あとね、当時2010年あたりってアーティストとかも売れてナンボみたいな話が結構あったと思うんですよ。今は前ほどではないと思うんですけど、当時は売れて目立つことがいいっていう風潮があって、それで悩んでいる学生さんもやっぱりいたと思いますね。
多分mauleafの学生スタッフに参加してくれていた人たちは、デザイン系の人が多かったっていうのもあるんだけど、自分の作品を一人で作ってそれで売り出したいっていう人よりも、もうちょっと違うかたちを求めてきていたと思うんですよね。例えば人と一緒に何かやるとか。なので、そういう彼らにとって将来の出口というか、どういう事を今後自分がやっていったらいいのかっていうのはちょっと見えづらい時代だったかもしれません。震災も2011年にあったので、彼らにとって重要な学生時代に世の中が変わって行く頃だったと思うんですよね、だからそういう話をしていた記憶があります。

櫻井:学生が主体になってメディアを作るってかなり特殊な案件かと思うのですが、学生と接するときに気を付けていたことってあったりしますか?

藤原:10年前なんで、僕も10歳若かったわけですよ。30代前半だったんで、そんなに離れてなかったというか。まあ学生さんとは一回りくらい違うんですけど、とはいえ年齢的に近かったんで、どういう距離感をとったらいいかっていうのは考えていましたね。
距離をあんまり縮めるのも危ういけど、あえて距離を取ろうとしてもそれが冷たく見えるってこともありえるし難しくって。
ひとつ心がけていたのは、なるだけ出入り自由な場にしようとは思ってました。やめたくなったらいつでもやめていい、という選択肢はキープしておきたかった。幸い初期メンバーがたくさん残ってくれたので、彼らがいいムードをつくってくれたと思います。彼らがmauleafの土台をつくってくれたと言っていいと思いますね。

後半へ続きます

編集・執筆:デザイン情報学科2年 櫻井真奈/取材:櫻井真奈、デザイン情報学科2年 川又彩伽

関連記事